武士時代の建築 (建築の歴史について)

武士時代の建築

5:22 PM on 2013年7月2日

平安時代には、貴族が世を謳歌しすぎて社会は乱れてしまったために、それを統治する武士が次第に力を増してきたことにより、次第に貴族に代わって武士が世の中を治めるようになっていきました。

建築も、それまでの貴族のものとは異なり、台所や厩などのあり、天井が張られた主殿作りが主な住居となっていきました。

また鎌倉時代になると、再び中国との貿易が始まったので、その影響も大きく受けました。

特に大きな影響を受けたのが、座禅によって釈迦の悟りを開く行を積む禅宗で、武士の文化と融合して、力強く明快な文化が生み出されました。

奈良時代に焼失した東大寺は、大仏様と呼ばれる太い柱と柱に組み込まれた貫によって大規模建築を行ない、その豪快さを表しています。

一方で、構造から天井などの細部に至るまで禅宗の教えに基づいて作られた禅宗様、床があり円柱と面取り方柱で出来ている伝統的な日本の建築様式の和様、和様をもとに禅宗様や大仏様が混ざった折衷様も生まれました。

その後足利氏の室町時代になると、3代将軍足利義満が風流で豪華な貴族文化を好んだため、禅宗文化とも融合して独自の文化が生まれました。

彼が建築させた有名な建物といえば、金閣を代表とする鹿苑寺です。

池や寝殿造りは貴族文化を表していますが、何といっても特徴的なのは、金閣は2階が和様、3階が禅宗様といったように、多層構造をしているという点です。

それまでは平屋の建築が主流だった中、この頃から多層建築が行なわれるようになっていきました。

金閣と比較称される8代将軍足利義正が建築した銀閣も、書院造と禅宗様の2層造りとなっています。

また、この頃最盛期を迎えた重要な建築といえば、庭園です。

実際に池のある天竜寺や永保寺は禅宗様の庭園ですし、龍安寺に代表される岩と石だけで池を表している枯山水の庭園も室町時代に生まれました。

もうひとつ、室町時代に生まれた日本建築の新様式といえば、書院造です。

入口に玄関があり、奥にはふすまや障子で区切られた部屋があり、最も奥には書院と呼ばれる主室があります。

書院には、床の間や違い棚があり、畳を敷き詰めているというのが、基本的な書院造の形です。

この時代以降、武家屋敷の主流な作りはこの書院造となっていきました。

そして織田信長によって足利氏が滅ぼされると、安土桃山時代へと突入します。

安土桃山時代になると、仏教建築よりも武家らしい建築がなされるようになり、城郭の建築や華やかな書院造の建築が主流となっていきました。